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夕張鉄道21形蒸気機関車

栗山町の御大師山のふもとの公園に一台の蒸気機関車が保存展示されています。
江別市野幌と夕張市鹿の谷を走っていた夕張鉄道(昭和62年に完全に廃止)で使われていた蒸気機関車のうちの一台で21型と呼ばれていました。
21は1941年に川崎車輌で製造された夕張鉄道が発注した機関車で、昭和に入ってから製造された9600形として数少ない事例であり、
そのなかでも最後に製造された1両であったとのことです(Wikipediaより)。
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何度か塗装をくり返されたようで、かろうじて外観を保ってはいますが、屋外展示のために各所に浮き上がっている錆など、経年劣化が見られます。
運転台に登り、運転席の様子などを間近に見ることが出来るのは、子どもたちにはうれしい経験でしょう。
それでも最近は公園に遊びに来ても、21型蒸気機関車に乗る子どもの姿はあまり見られません。
飽きられて人気がないのかも知れませんが、21型も寂しいのではと思いました。
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by kitanonezumi | 2010-09-30 23:40 | 乗り物など

東京ウォーターフロント

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隅田川を遊覧船に乗って下り、水上から東京ウォーターフロントを見物するのもいいかもしれません。
観光バスよりも涼しげですし、隅田川に架かるいろんな橋を次々と見るのも楽しいと思われます。
折しも東京都観光汽船の”道灌”と名付けられた船が、勝ち鬨橋をくぐり抜けて、大川端リバーシティ21と中央区をつなぐ中央大橋に向かっていました。
1920年代、アル・カポネが暗躍した禁酒法時代のアメリカのイメージで船内が装飾されているそうで、350人乗りです。
中央のいちばん高いビルがセンチュリーパークタワーで、 高さ - 180m(地上54階、地下3階)、 戸数 - 756戸とのことです。
ゴジラが再び東京湾にやって来たら、真っ先に襲われそうに思えるほどに目立っています。
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by kitanonezumi | 2010-09-29 22:36 | 旅行

勝鬨橋(かちどきばし)

月島と対岸の築地の間を流れる隅田川に架かっているのが勝鬨橋で、大きな船が通る時に橋桁が上がる可動橋として有名でした。
1940年に完成してから30年間は実際に橋桁が上がっていたそうですが、現在は完全にロックされていて、普通の橋と同じです。
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下の写真に写っている真ん中の低くなっているところから二つに分かれて開いたようです。
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橋桁を支える鉄骨のアーチがさすがに大きいです。
交通量がかなり多いので、それを遮断してのんびりと橋の上げ下ろしをしている時代ではないことは分かりますが、二つにわれて上がるのを見たかったです。
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橋を開閉するモーターなどが入っている機械室が両側にあります。
今は使われていない機械室と、その前の信号機が可動橋だったことの証として遺されています。
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by kitanonezumi | 2010-09-26 23:36 | 旅行

都会の中の漁船

ともに埋め立てによって出来た人工島の月島と勝どきを隔てている開水路(運河?)もまた、月島の風情に欠かせない光景のように思われます。
佃煮で知られるように江戸時代からこの一帯では漁業が盛んだったようですが、都市化の波には勝てずにすっかり衰退したようです。
とはいえ、ほそぼそながらも生き残ってはいるようで、高層ビルの谷間の中にちゃんと漁船がありました。
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都市農業という言葉はよく聞きますが、都市漁業とはあまり言われないようです。
人工島であるために月島には農業は皆無ですが、漁業はきちんと生き残っていって欲しいものです。
消費地の中で営まれている一次産業はもっとも効率的な産直ですし、食育のためにも貴重な存在です。
そのためにも、きれいな海を取り戻し、維持することが大切なことだと、月島をぶらぶら歩きながらも考えました。
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by kitanonezumi | 2010-09-25 22:11 | 旅行

月島もんじゃ通り

月島の表通りから道路を一本中に入ると、有名なもんじゃ通り、別名もんじゃストリートがあります。
正式には月島西仲通り商店街と呼ぶそうですが、これでもかというくらいにもんじゃ焼きの店が軒を連ねています。
それにしても、商店街の統一を図ったつもりなのでしょうが、それぞれの店の個性をみごとに消してしまっているのはいかがなものかと思いました。
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平日の午前中だからでしょうか、人通りが少なくて閑散としています。夜になると賑わうのでしょうか。
そんな中で一軒だけ人だかりのしている店がありました。どうやら修学旅行中の中学生のグループのようです。
たぶん、口コミかネットで評判の店のようで、東京へ行ったらぜひ寄ってみようということなのでしょう。
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昭和の時代、東京の下町ではもんじゃ焼きはどこの駄菓子屋でも必ず売っていたおやつだったそうです。
もんじゃの名の由来については各説あるようですが、焼くときにタネで文字を書いて遊んだことから、
「文字焼き」>「もんじ焼き」>「もんじゃ焼き」となったとの説が説得力があって、一票入れたい感じです。
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by kitanonezumi | 2010-09-24 22:58 | 旅行

月島・路地裏通り

相生橋を渡って月島に入っても、6車線の幅広の立派な道路と両側には高いオフィスビルが建っていて、いかにも東京そのものの景観です。
しかし、表通りをはずれて裏通りに行くと、そこはまさに下町の風情が息づいている光景に出会います。
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道幅が一間ほどしかなく、向かい合う家々の玄関が顔をつきあわせています。
軽自動車でも通るのは無理で、車はせいぜい自転車とバイクくらいなので、子どもが遊んでいても安心です。
向かい合った家の窓越しに会話が出来る近さです。この環境では人と人の関係が密に濃くなるのも頷けます。
昔ながらと思わせる床屋さんがありました。
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ほとんどの家の軒下には、丹精を込めた植物の鉢やプランターが置かれています。
大都会・東京にもエア・ポケットのような昔懐かしい空間が残されていることに、ホッとする感じです。
しかし、高層マンションがすぐ近くまで迫ってきているようなので、いつまでこの情景が残るのでしょうか。
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by kitanonezumi | 2010-09-23 23:07 | 旅行

相生橋

相生橋は隅田川に架かる橋です。埋め立てで出来た島である月島と深川をつないでいます。
橋が無かった時代には、築地や深川からは佃の渡しと月島の渡しなどの渡し船に頼るしかなかったということです。
6車線の車道と両側に歩道があるかなり幅の広い橋で、昔は路面電車も通っていたそうです。
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明治時代から何度か架け替えられたようで、橋のたもとにあった説明版によると現在の橋は平成10年に完成しました。
相生橋の名前の由来について説明版では上流の永代橋と相対する橋として名付けられたとのことですが、
Wikipediaでは、この橋がはじめ長短二橋で構成されていたことから「相生の松」に由来して採られたということで、どちらが本当なのでしょうね。
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橋の下をくぐってだるま船がタグボートに牽かれて上流に向かっていきました。
近代的な高層マンションとだるま船という取り合わせは、ちょっと不思議ながらも新鮮でのどかな感じがしました。
だるま船という言葉を知っている人も少なくなっているのだろうなと、ふと思いました。
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by kitanonezumi | 2010-09-21 22:04 | 建物など

佃島・大川端リバーシティ

東京の下町風情に触れたくて、富岡八幡宮のある深川(門前仲町あたり)から月島方面へ歩きました。
東京商船大学(現在は東京水産大学と統合して東京海洋大学)のあった越中島を抜けて、相生橋という大きな橋のたもとからの眺めに驚いてしまいました。
下町風情どころか、超近代都市を思わせる高層ビルが川の向こうに林立しています。
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後でGoogleマップで確認したら、都市再生機構や東京都などによる石川島播磨重工業の跡地を再開発して作られた超高層マンション群でした。
川に向かって右手(都心の方)を見ても、目に入るのは大きなビルばかりです。
下の写真の右下に見える永代橋からの夜の大川端リバーシティの眺めは有名だそうです。
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正面から見た超高層マンション群から何とも言えない迫力を感じました。
いったいどれくらいの人が住んでいるのか、見当もつきません。
長引く不景気の中でなおも膨張を続ける東京という都市のどん欲さ、生命力の強さを目の当たりにした思いです。
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by kitanonezumi | 2010-09-20 21:51 | 建物など

富岡八幡宮

伊能忠敬像が置かれている富岡八幡宮は1627年に創建された、かなり由緒ある神社です。
地下鉄大江戸線の門前仲町駅で降りてから、徒歩で5分もかからない場所にありました。
立派な大鳥居をくぐって行き交う人がかなりいて、町中の神社らしい雰囲気です。
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境内に立っている大きな木々が歴史の古さを物語っているようです。
ただし、本殿の背後に見える高層ビルがちょっと味消しに思えます。
山本一力の著作に多い人情時代小説では、江戸深川を舞台とした作品も多く、富岡八幡宮のお祭りや縁日もしばしば出てきます。
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東京でいちばん大きな八幡神社だけあって、本殿は格式の高そうな立派な建物です。
横綱、大関、関脇力士の碑など相撲に関係ある碑が多くあり、江戸勧進相撲の発祥地であったということで納得がいきました。
8月15日ころに開催されるお祭りは、日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭と並ぶ「江戸三大祭」の一に数えられ、たいへんな賑わいだそうです。
お祭りが近づくと、江戸っ子の血が騒ぐのでしょうね。
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by kitanonezumi | 2010-09-19 22:30 | 建物など

間宮林蔵

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昨日は日本全図を作成した伊能忠敬の第一歩をアップしましたが、蝦夷地(北海道)の全てを測量出来たわけではありませんでした。
残された部分の測量を受け継いで蝦夷地全体の測量図の完成に貢献したのが、伊能忠敬に師事し測量術を学んだ間宮林蔵です。
樺太がユーラシア大陸から離れた島であることを確認したことから、その海峡が間宮海峡と名付けられたことは有名ですが、
その他に幕府の隠密として活躍したことなど、その多彩な人生はとても興味深いものがあります。
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宗谷岬の先端で、はるかな樺太を臨んで立っている銅像には、困難な事業に立ち向かう人の強い意志と自信を感じます。
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by kitanonezumi | 2010-09-19 00:01 | 人物